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『哲学から学ぶ パートⅢ』

こんにちは。

沖縄県在宅支援センタースタッフです。


哲学から今を生きるさまざまなヒントがいろいろと隠されていることがあります。
前回まではソクラテス・デカルトでしたが、今回は「カント」です。


みなさんは仕事でちょっとしたミスをしたことはありませんか?
黙っていればわからない小さなミスも報告・連絡・相談していますか?

たいていの場合、何事も起こることもなく、いつの間にかミスを報告
しなかったことどころかミスしたことさえ忘れてしまいます。

どうして、人はミスを隠してしまうのでしょう。
原因は2つあると考えられています。

一つめは、日本の社会にはミスを逐一報告する文化が根付いていない
ことが考えられます。

二つめは人間の弱さとも関係します

たとえ文化が根付いていなくても堂々とミスを上司に報告することが
できる強い人はいるものです。
しかし、たいていの場合は、いろいろ考えて、
たいした問題でもないのでそのまま放っておこうと考えます。

しかし、まずあり得ないと考えていたミスが悪い結果を引き起こし、
その結果、自分あるいは家族に直接被害を及ぼしたとしたらどうでしょ
うか。とてもゆるす気になれませんよね。

そこでカントの「義務論」と呼ばれる厳しい倫理感を打ち出します。

正しい行いをするのは義務であり、「もしお金がもらえるなら」と
いうような条件はそもそも存在しないというのです。
普遍的に正しいと思える場合であれば、「○○をせよ」というように
無条件に自分に命令しななければいけないと主張するのです。この考え方を
カントは「定言命法」と名付けました。

人格、人間性は本来、目的であって、手段として扱ってはならないものです。
人間の意思はもともと自立しています。それは誰にも強制されるものでなく、
自ら選択することができるものです。

つまり、こういう場面にカントが遭遇したなら・・・

『ミスを報告したら昇給するというルールがあったらどうしますか?
 きっと深く考えずに報告するでしょう。"△△ならば○○する"は仮言命法であり、
 正しいことを自分に命ずる定言命法とは相容れないものです。
 ミスは誰もがするものです。ミスを過剰に叩く社会にも問題がありますが、
 ミスは軽い病と言ってよいでしょう。早期に発見して治療すれば必ず治ります。
 早期治療には勇気が必要です。
 その勇気を出せずに放置したことで死に至ることだってあるのです・・・』

そう言っているかも知れませんね~~
『哲学から学ぶ パートⅢ』
皆さんも哲学の本、読みやすく、わかりやすい本もいろいろありますので、
読んでみてはいかがでしょうか?

次回もまた紹介しますね!


Posted by 沖縄県在宅就業支援センター at 2011年08月05日   10:00